狸の描いた絵
温田、柿野に、不思議な絵像がある。人間の顔へ獣の胴体を着けたような格好で何とも合点の行かぬ代物であるが、それが狸の描いた絵だというのであるから大したものである。
久しい昔の話、遠州路の方から峠を越して不思議なお駕籠が一挺お伴を連れてこの村へ入って来た。いったいどこから来て、どこへ行くのやら、お駕籠の中には誰方が乗って御座るのやら、附き添いの御家来衆に尋ねても、ただ由緒ある都のお公家様だというだけで、その他については何も話してくれなんだ。
お駕籠の垂れは始終ぴったりと締め切ったままで、まことにもって判断に行かぬ、兎に角そういうお駕籠が一挺村の庄屋の所へ入って来た。
温田の庄屋の家では、第一に京都のお公家様というふれ込みに恐れ入り、この不思議な珍客様を歓待するのに上を下への大騒ぎであった。お駕籠のままで座敷の真中へ担ぎ込み、用事の時はこっちから呼ぶ故、それまではだれも決して参るな、と言う厳重なお達しだ。
家内一同は、ただただ高貴の御方とばかり崇め貴び、遥か末座に低頭平身して家門の誉れと恐悦至極であった。
駕籠の中から何が出て来たか、御風呂へ入る御公家様に尻っぽが有ったか、無かったか、家の者たちは何にも知らず、ただ家に余る光栄を畏れかしこみ、村中に触れを出して路傍の草を刈らせ、道路の掃除をさせて、明日のお立ちに粗そうのないよう、ひたすらに心を配っていた。
その夜も無事に明けて次の朝、お駕籠はやっぱり扉を固く締めたまま、座敷の中からずっと、家内一同が頭を下げている上へ、昨夜の御礼だといって不思議な絵像を一枚残した。温田で狩り集めた百姓たちのにわか作りの行列が、庄屋送りで田本を経て左京坂を登り柿野まで続いて行く道中に、村の者どもは地面にかしこまって伏し拝んだ。柿野で昼飯をとり同じような絵を一枚御礼に残した。お駕籠の扉は、終始締め切ったまま、不思議を人々の心に残して北の方を指して立ち去った。
食事の時も、風呂へ入る時も、一切、人を近寄らせなかったその隙をうかがって、不届者が一人、襖の陰からそっと覗いて見た所、御馳走を御膳の上へぶちあけて長いしたで舐めていた、湯に入る時には長い尻っぼが湯気の間からおぼろに見えていたとの話であった。そして北へ北へと行く、うちに、上穂の光前寺の飼犬に正体を看破られて噛み殺された、劫を経た古狸であったという。今に伝わっている不思議の絵像は、その時描いて残して行ったものである。