足神様
大畑(田本際)の路傍に足神様というのが祀られている。
昔、遠山家の殿様がひどく百姓をいじめたので、百姓がたまりかね、一揆を起こして不意に領主の館に乱入した。
歴史が伝える遠山家の没落は、まことに悲惨を極めたものであった。
一族ことごとく四方へ逃げ延びる。
奥方も馴れぬ足に茨を分けて、どこへというあてもなく落ちて行った。
栃城下り沢の七ッ釜まで来て、淵で体の泥を落とした。
ちょうど不浄の時であったから七ッの淵が赤く染まった。今でも赤いのはその時染まったからだという。
温田の坂路へ来た時に、、懐中から鏡を取り出して変わり果てたわが姿を見て泣いたという。
一揆に追われて、またもそこを逃げて行く時、鏡を路傍のくさむらに投げ捨てると、その鏡から涙が流れて泉となって、今でもその時の涙の水がじめじめと草の根をくぐって流れており「苦しが坂」「じめじめ沢」等の地名となった。
奥方は、それから大畑の果てまでたどり着いたが、足の痛みに堪え切れず、そこへ倒れてしまったのを、里人がねんごろに介抱してやった。
奥方は、たいへん喜び、立ち去る時(死亡したとする説も有り。)「この後、もしも足を病む人があったら、今日のお礼にきっと治して進ぜましょう」と言ったので、里人たちはそこへ祠を建てて足神様と崇め祀ることになった。
足に関するいっさいの病気にたいへん効験があるといって参詣する人がたくさんあり、お礼にわらじや草履があげられている。