昭和11年、矢作水力が門島発電所建設の公共報償として、門島駅より村内中央へ初めて車道を建設しました。この車道は、村の安泰に通ずる道であるとして「泰乎通(たいこつう)」と、当時の千葉 了長野県知事の揮毫の文字を路傍の岩盤に刻んだものです。