柚子チョコレートのきっかけはねぇ、「農村女性ネットワーク泰阜支部」です。
この会は、下伊那農業改良普及センター(長野県の現地機関)が呼びかけて、農家の女性を集めていろいろな勉強会をしていたんです。
それで、平成18年度。ちょうど私が会長を務めていたんですよ。
その年は、県から普及員の方が村へ派遣されていました。
当時はまだ、「平成の市町村合併」について議論されていた頃で、小さな自治体はどうしたらいいのか、合併すべきなのか、単独でやっていけるのか、思案していた頃でした。その時の県知事は田中康夫さんで、県内の市町村へ、その市町村が求める専門性を持った職員を派遣してくれていたんです。
その普及員さんがとても熱心な人で、農村女性ネットワークの活動も協力に引っ張ってくれたんです。
泰阜村には柚子を植えている家や柚餅子をつくる家があったので、「柚子の料理の勉強会を開催しましょう」ということになりました。
その料理の中に、柚子の皮を砂糖で煮詰めてつくるお菓子(ピールといいます。)があったのですが、「オレンジではこうした後にチョコレートをかけてお菓子として売られているんですよ」と教えてくれる人がありました。
「柚子ではできないんですか?」
「できるけど、柚子は高級品ということだから、やるメーカーはないのよ。」
「ここなら柚子があるからできちゃうかもよ?」
そんな会話をしながら、お茶を飲んでお開きになりました。
お役所誘導の勉強会はこれで終わりにしてもよかったんだけど、この時は「少しもったいないな」と思いました。
普及員さんも、「夢は大きく。商品ができたらすごいですよ」と言ってくれたので、もう少し続けて勉強してみようと思ったんです。
ピールのつくり方は習ったし、後はチョコレートをかけるだけんだから、簡単だと最初は思っていたんですよ。
チョコレートを買ってきて、湯煎して。
型がないから、「お猪口を使えばトリュフみたいな形になるだろう」って。
ピールをお猪口に入れて湯煎したチョコレートを流し込んだら、形はそれっぽくなったけど、チョコレートばっかり多くなって、「柚子はどこにあるの?」って。
本当にひどいものだった。当時はテンパリングの技術も知らなかったし、ピールのつくり方も未熟だった。
それでも、いろいろな人の意見を聞きたいと思って、村の農業振興大会で村長さんとかに試食してもらったんです。
結果はボロボロ。
でもねぇ、普及員さんは「最初からうまくいくはずはないですよ」とか、「これから悪いところを直していけばいいんだから」とか、慰めてくれるんですよ。
そして、ピールの上手なつくり方を調べてくれたり、柚子に合うチョコレートを一緒に探してくれたり。
私も人を集めて、何度も試作をしました。
専用の道具なんてないから、道具をいろいろ工夫して。楽しかったな。
少しずついいものができるようになったら、今度は商品の名前とか包装、値段は?販売ルートはどうするの?とか、新しい課題が出て。
「この部分だけはあなたが決めなくてはだめです。あなたしか決められませんよ」と言われたけど、そんなこと経験がないから本当に悩みました。
それでも、普及員さんたちの薦めで、「長野県味コンテスト」に参加しておいたこと(結果は優秀賞を受賞)から、県庁からも直接販路の助言をいただいたりして。
廃止になった保育園があったので、調理室を加工場に使わせてもらったり、機械の購入を補助してもらったり、村長さんにもお世話になりました。
まだ安心はできないけど、順調といえば順調でしょうか。
多くの方の手引きや後押し、ご協力のおかげです。
でも、まだ課題がたくさんあるので、頑張らなくては。
最初に集まった仲間の中には、亡くなられて、もう一緒にできない人もいるし、私もいつまでも現役というわけにはいかないので、また新しい仲間を集めたりして、とにかくこの柚子チョコや柚子の加工品を村の財産として育てていきたいなと思っています。